どうも幸吉です!今回は考えないことがいけないことかを説明していくよ!
最初に
私たちが失敗する原因は全て余計な考え事。
とりわけネガティブな考え事です。
脳というたいへん機能が充実している
頭の中の働き者がいますが
「より強い刺激を追い求める」
という特徴を持っています。
言い方は悪いですが違法薬物を売って病みつきにさせるヤクザのような細胞なのです。
考えるのをストップしようとしてすら
「そっか考えないのがいいのか」と考えてみてもさらに
「考えない…!」という思考が増えるだけ
ピコピコと脳内のお喋りは止まらず連鎖し続けるのです。
ぷよぷよみたいですね フレイム!
「考えすぎるせいで」思考そのものが混乱してのです
「さあ頑張ろう」と決めたはずが
「一時間ぐらいyoutube見ててもいいだろ」と
考え始めたり
私たちを支配する「思考」さえストップできる
ようになると
自らの心を操作しやすくなります。
五感を研ぎ澄ませて実感強めることにより、思考というヴァーチャルなものを乗り越える手立てです。
「考えない時間」を作って頭の中の充電をすること
目・耳・鼻・舌・身の五感に集中しながら
思考を自由に操る練習を始めましょう
今から考えない練習をするけど…考えることが悪いことなのではない
考えることはいけないことという意味ではありません。
「八正道」と言われるものがあります。
正思惟(思考内容を律す)
正語(言葉を律す)
正定(集中する)
正精進(心を浄化する)
正念(心のセンサーを磨く)
「正思惟(しょうしゆい)」つまり
「正しい思考をする」ということです。
例えば皿洗いの時なら「洗剤を節約する」
「節水する」と考えながら洗います。
別のことを考えている間その皿を綺麗に洗うことやおろそかになってしまいます。
「食事」だったら
「綺麗に食べる」「味わう」「よく噛む」と考えて食べることで
「貴族のような食事風景」になります。
「読書」だったら
「イメージしながら読む」「ゆっくりと読む」
「楽しみながら読む」と考えながら読書すると
念力の力スプーン曲げではない!
私たちは一瞬一瞬の時間の中で頭の中にノイズが流れて
無意識化で「考える」ことに多くのエネルギーを割いてしまってるのです。
無駄なエネルギーを使わないためのトレーニング法として
いつの間にか心が行なっている無駄なことに気づくことです。
「無駄なことを考えている」
「雑念にとらわれている」と気づいていきます。
https://kimama-brog.hatenablog.com/entry/2019/07/21/181150
詳しくはこちら
興味があったら見てみてください
気づく力を仏道では「念力」申します
煩悩を消す一つの方法の名前なので
スプーンを曲げることができそうですが
それとはちょっと違います。
練習していくうちに敏感に些細な変化に気づくようになります。
二つ目の力のことはすなわち「集中力」です。
心が非常なスピードで散乱している意識を一か所にグーっと定めることです。
まずはこと二つを試してみてください
上達してきたら次です!
感覚に意識を向ける!「見る」と「見ている」の違いとは!
「考えごと」に気づいたら
「感じる」方に意識をグーっと強めます。
「自分の感覚に対して能動的になる練習」をしましょう。
「見ている」という受動的な状態と
「見る」という能動的な状態
「聞こえているという」受動的な状態と、
「聞く」という能動的な状態
「感じている」という受動的な状態と
「感じる」という能動的な状態
これらの違いを認識してみてください
今目の前が全体的に「見えているでしょう」
焦点を一点にあてじっと見つめます。
まずはこの文字に焦点を当ててください
c
はい右ですね。
すみませんやってみたかったんです。
はいこちら!
幸福
どうですか?意識を集中させると
他の感覚は次第に静まっていきます。
うすぼんやりと周りの音が聞こえているという感じです。
これが「見る」ということです。
次は服の中の「身体感覚を意識」します。
「布はどんな感覚か」「温かいか冷たいか」
「固いかゆったりしてるか」
を「感じて」いきます。
バスや電車、徒歩の移動の時に考え事をしている場合は「感覚に意識を向けて」
「景色を見てみたり」
「手足の感覚を感じてみたり」
精神統一している心地よさが感じられるでしょう。
案外心地いいと心が安らいでくるはずです。
すると…「感じる力」に反比例して「考える力」がオフになっていきます。
こんな感じで「感覚を研ぎ澄ませる」ことで「いまこの瞬間」を感じ取ることができるようになっていきます。
「今ココ」とも呼びますね
日常の些細なことを味わう機会も増えてハッピーです。
「飽きる」という思考
例えば僕に恋人がいるとします
相手の視覚映像がフレッシュな時は新しい刺激に対してワクワクします
が相手の情報に慣れてくると「飽き」が出てきます。
「ずっと同じだなぁ」「この刺激はもういいや」という「マンネリ」になってくるのです。
すると彼女は「話聞いてるの?」と女の勘の一部分で察してきます。
あらかさまに他の異性に走る場合もありますが
僕は彼女にビンタされて修羅場になること間違いなしです。
「飽き」のスピードが速い人と遅い人がいますが、「飽き」とは仏道で言う「煩悩」と深く関わりを持っています。
「煩悩」とは意識センサー「三つの毒」であるところの「欲」「怒り」「迷い」です。
「欲」
「もっと欲しい」「もっと欲しい」という
衝動エネルギーのことを「欲」と言い
煩悩のエネルギーが活性化している状態です。
依存症がそうでしょうか「スマホ依存症」
「アルコール依存症」「糖分に依存」
「人に依存」
怖いですねー
「怒り」
「受け入れたくない」
「見たくない」
「聞きたくない」
と反発する心の衝動を「怒り」呼びます。
少しでも何かしようとして
「反発」の力が働いたらそれは「怒り」です。
「やる気がしない」というダラダラ思考も
誰かを「妬む」のも、過去を「後悔する」のも
「寂しいの」も「緊張するのも」根はひとつ「怒り」の煩悩エネルギーを燃料として生じている衝動です。
「迷い」
目の前のことに飽きて別の刺激を求めるようになる心の衝動エネルギーのことを「迷い」と呼びます。
ちゃんとやることがあるのに
集中が途切れて「貧乏ゆすり」や「SNS」
「考え事」などに意識が向いてしまうなんてことが「迷い」です。
意識が別のことに向いている状態のことですね。
「怒り」「迷い」「欲」これら全ては思考です
考えることはいいことですが考えすぎてしまう
「煩悩」にとらわれてしまいます。
なので「気づく」ことと「集中」と
「感覚に意識を向ける」ことが大事になってくるのです。
頭の中を整理するとこんなにいいことが!
心の中のつぶやきが増えていくとメインメモリは無駄な雑念に食い尽くされるのです。
食べ物を食べていても味わっているという
「実感」が抜け落ちてしまい
フレッシュな情報が入ってきません。
10秒のうち9秒は実感が消えて
やがて年をとってから過去を振り返ると
「最近は年月が早く過ぎていきますねぇ」
と時間が抜け落ちてしまってる事態になってしまう。
思考が実感覚に完全に勝利した時人は呆ける
それらのすべての大元は
「目の前の現実はフツウすぎてツマラナイ、ネガティブ考え事は刺激的」
という考えが原因
「暗い影のある方がかっいいいぜ!」
「考え抜いて出した答えは素晴らしい…」
と思う人はそれはそれでまた一つの考え方です
感覚に意識向けたら1秒を10秒に感じるよ〜
いいでしょ〜時間を味わいながら過ごせるから
充実した人生を送れるよ〜
ちょっと感覚に意識を向けるだけだから…
ほんとちょっとちょっとだけだからね!ね!
まとめ
「考えない考えない」と「考え」ても思考が増えるだけ!
気づく力「念力」と集中する力「定力」
「感覚に意識を向ける」これだけで思考の悩みからは解き放たれます!
それから「正思惟」で「正しい思考」をしていけばもう完璧パーフェクト!
考えないことは悪いことじゃないことがお伝わりしましたか?
だからといって考えることが悪ではないのです。
雑念を手放して思考を操っていこうという話でした!
では!